人形町サロン
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キャスター・ライター 桜林 美佐 氏

<略歴>
昭和45年 東京生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒。
フリーアナウンサーとして活動した後、ディレクター・放送作家へ。
TBS「はなまるマーケット」、MXテレビ「東京の窓から」(石原都知事対談番組)他多数を制作。
平成18年、ニッポン放送「報道スペシャル」で日本民間放送連盟ラジオ報道部門優秀賞受賞。
<編集部注>
桜林さんにお願いするのは2度目ですね。相変わらずお美しい。皆さん、桜林さんのHPはhttp://www.geocities.jp/misakura2666/です。是非お立ち寄りください。また、好評発売中の新著『海をひらく−知られざる掃海部隊−』(並木書房)を友人知人にお勧めくださいますようお願い申し上げます。
 国際貢献後進国・ニッポン

                                         
2008.10.14
 参議院の議員会館で佐藤正久議員とばったり会い、立ち話をしたことがあった。三日前に外国から帰ってきて、そのまま地方に行き、今朝、帰ってきたばかり。久しぶりにこれから家に戻るが、今日は結婚記念日なのだという。

 しかし気が付いたら、お土産すら買って来るのを忘れていたということであった。

 「家にたどり着くだけで精一杯ですよ・・・」

 疲れきってそう言う佐藤議員を見ていたら、ふと自衛隊の海外派遣と重なってしまった。目の前にいるのは、陸上自衛隊のイラク派遣の先駆けとして現地に赴いたヒゲの隊長、あの頃もそういえば、そんな言葉を誰かが口にしていたような・・・。

 「たどり着くだけで精一杯」

 それは、長年、海外に赴く自衛隊に課せられた十字架であった。平成3年に初めて、海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に赴いた時から「行くのか」「行かないのか」に議論は終始し、その大義や、日本がどんな役割を果たせるのかまで世論は成熟していない。それは現在に至ってもだ。つまり日本国民は、国際貢献の何たるかを未だに理解していないのである。

 実は、わが国の掃海部隊は、過去にも一度「海外派遣」を経験している。そして、そこで一名の死亡者を出しているのだ。朝鮮戦争のさなかであった。

 掃海部隊は極秘に出港し、木造の小さな船でやっとのことで元山や仁川などに到着。日本人のきめ細かく丁寧な作業で無数に漂う機雷を処分し、任務は順調に進むかに見えた。

 しかし、好事魔多し。最悪の事態が起きてしまう。一隻の掃海艇が機雷に触れ、乗組員の中谷坂太郎さんが殉職したのである。極秘の任務だっただけに、その死もまた長く明かされることはなかった。戦後日本の悲劇の一つと言っていい。

 そして、この事実は、もはや明るみになった平成の今になっても、決して昇華されておらず、放ったらかしになっているのである。人によっては、ご遺族はGHQから莫大な補償を受けたからいいではないかと言う。しかし、そこには命を捧げた一兵士の思いなど、微塵も反映されていないのだ。

 まず問題なのは、この朝鮮特別掃海隊の派遣が、サンフランシスコ講和条約締結を日本に有利に進め、独立を早めたという国民的認知がなされていない点、次に、亡くなった中谷さんの慰霊・顕彰については、国家として責任を全うしていないという点である。

 憲法違反の疑いがあるということで、この派遣の事実そのものがきちんと検証されることが避けられ、中谷さんの兄は靖国神社への合祀を申請しているが、靖国神社は国が公務死と認める「大東亜戦争まで」の「戦没者」でなければ受け入れることができない立場であるため、実現していない。

 つまり、戦後の日本は戦争を放棄した「平和国家」であるため、弾の飛び交う戦場に斃れても「戦没者」として認められないというわけだ。

 ところが、実際は「戦後」も「戦場」で尊い血が流れたことによって、日本は国家としての主権を回復した。日本人の多くは、敗戦と占領という苦い経験から、自然に開放されたと思ってはいなかったか。

 「平和」「人命大事」という美名の下、国のために人が死んでも我知らず(しばらく秘匿はされていたが、昭和50年代には明るみになっていたのだ)、欺瞞の中で暮らしてはいなかったか。

 憲法違反云々という次元の低い論議により、「国際貢献」の何たるかを理解せぬままに、自衛隊の国際平和協力活動は「本来任務」になった。アフガニスタンでは世界各国の若者たちが、今日も命を懸けて戦っているのを横目に、現場の自衛官は「日本には出来ないことがある」と終始、説明に追われなければならない。

 そんな中、今月、政府は国連スーダン派遣団(UNMIS)司令部に、陸上自衛官二名を派遣することを決定。来年の6月30日まで、首都ハルツームにある司令部で分析情報のデータベース管理と物資補給の調整業務を担当することになった。

 政府としては今後、部隊派遣などを視野に、次々に国際貢献を進めたいという意図があるようだが、現在の法体系ではまだまだ「たどり着くのが精一杯」であろう。しかし、たどり着いてから一体何ができるのかを煮詰めなければ、自衛隊の国際平和協力活動は画に描いた餅でしかないのである。

 この活動を真に確立させるためには、朝鮮特別掃海隊の歴史的意義を認め、同様に、現憲法下において万が一、自衛官が戦場で没した場合、国家としていかに慰霊・顕彰するのかを明確にすることが急務であろう。

 「たどり着くのが精一杯」の時代は、もう終わらさなければならない。

<筆者注>
朝鮮特別掃海隊については、拙著『海をひらく−知られざる掃海部隊−』(並木書房)
に書いています。詳しくはこちらをご覧頂ければ幸いです!



 
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