人形町サロン
人形町サロンとは? 花岡信昭の政治を視る目 今月の識者 研究ノート 原稿募集
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休刊に際して一言
                                                  2008.11.21   
執筆者各位

<編集部注>
人形町サロン休刊に伴い、かつてサロンに寄稿してくださった学兄からコメントをいただきました。本当にありがとう存じます。早速到着順にご紹介をさせていただきます。


アカデミズムとジャーナリズムの融合

東北福祉大学講師
丹羽文生

 出版不況の煽りを受け、ジャーナリスト、評論家、学者の「研究成果の発表の場」である論壇誌、学術誌の休刊が相次いでいる。インターネットの普及によって、紙媒体の読者離れが加速。「ネット時代」の到来は、間違いなく革命的変化をもたらしたが、その一方で、生活の糧を失った言論人も数多くいる。
 さらに今、大学院で博士号を取得しても、大学やシンクタンク、企業から正規採用されず、複数の大学や専門学校などで非常勤講師を務めながら、不安定な身分で地道に研究を続ける「ポストドクター」が増えている。そのような中、「夢に向かって研究に勤しんでいる若手研究者」を応援しようと開設されたのが人形町サロンだった。
 学術界では、大学の紀要、学会の研究誌に学術論文を掲載することが重要視される。そしてそれらが就職や昇進、研究費の獲得につながる。だが、これらの多くは、不特定多数の人々には公開されない。したがって、その内容は独り善がりになり易く、読み手の存在を忘れた「自己満足」で終わる場合が多い。
 研究者はインターネット上のサイトに論文を掲載しても学術界では評価は得られないが、それでも自らの研究成果を社会に還元する責任があり、その意味で、人形町サロンという「学術的サイト」を通じての研究成果の発信は、学者の端くれである筆者にとっても貴重な場であった。
 「読者の声」欄も充実しており、読み手から送られてきた感想や意見に大いに励まされた執筆者も多かったことだろう。しかも、「今月の識者」のコーナーでは、アサヒビールの中條高徳名誉顧問や帝京大学短期大学の潮匡人准教授、演出家でもある明治大学の福田逸教授といった錚々たるメンバーが執筆し、顧問には、政治評論家の花岡信昭先生を据え、極めて格式の高いものとなっていた。
 扱う分野も政治、外交、憲法、防衛、教育、哲学と幅広く、中には、エッセイ調のものや体験レポートなどもあり、「アカデミズムとジャーナリズムの融合」が図られ、「研究ノート」のコーナーの執筆陣も、現役の大学院生や新進気鋭の学者、地方議員と多彩だった。
 今回、諸般の事情で人形町サロンが休刊となることとなった。非常に残念ではあるが、従来の学術界ではタブーとされていた「アカデミズムとジャーナリズムの融合」に一石を投じたという意味では、その役割を十分に果したと言えよう。


人形町サロン、ありがとう

荒川区議会議員
 小坂英二

 若手研究者に発表の場を提供すべく始まった人形町サロン。今までに多くの論考を読ませていただきましたが、どれも新鮮な分析・研究に基づくものばかり。ネット上でここまで読み応えがあり、多様な範囲に渡るコンテンツを載せているサイトは大変貴重でした。
 席亭の黒岩智行氏と編集長のチョンガー公爵氏のご尽力で掲載された論考によって、私を含めた多くの読者が様々な知識や知力を得られたことを、この場を借りて感謝申し上げ、サロンで得た「何か」をそれぞれの読者が世の中で活用されることを心から願います。
 人形町サロンは事情により休刊するとの由ですが、このような試みが今後広がり、研究者や読者が新鮮な切り口で論文を発表できる場が増えることを願っています。それが国民意識の成熟の一助になることと思います。そして、そのような場が増えた暁には、人形町サロンがその嚆矢として、人々に語り継がれるものだと確信しています。


残念です

(社)日本青年会議所
真の日本男児育成委員会委員
児玉光平

 このたびの休刊は、まことに残念です。「若手の研究者に、発表の場を提供したい」との席亭・黒岩氏の想いから、老碩学から学生に至るまで、広く知を愛する人々のために開かれた人形町サロンは、まさしく真の意味での「言論の自由」が確保された空間でした。
 現在、「社会の木鐸」を自認(僭称?)している既成マスメディアの多くは、自らの「言論の自由」は無制限、かつ無答責に要求し、その一方で持論へと一方的に読者・視聴者を誘導しています。1990年代後半以降、爆発的にインターネットが普及した背景には、この構造にうんざりしていた人々に、メディアを介さない発表や意見交換の場を与えた点が大きかったのではないでしょうか。
 編集長・チョンガー公爵氏の洒脱な人柄もあって、ある時は真剣に、時には肩の力を抜いて軽妙に、古今東西の様々なテーマについて語らうことの出来る場は、今振り返ると貴重であったのだと感じます。ありがとうございました。


人形町サロンの先見性

国士舘大学大学院博士課程
 長谷川裕康

 最近は公爵氏と会う機会もなく、人形町サロンを時々拝見させていただくだけになっていましたが、人形町サロンが休刊すると聞き、とても驚いています。
 人形町サロンは政治だけに限らず、さまざまな意見や主張を掲載しているのでとても意義のあるものでした。人形町サロンは教授などの肩書などない「普通の人」の意見も掲載しており、かえってそのような人のほうが自称専門家よりも本質を捉えていることがあることも気づかせてくれ、個人的にも大変勉強になりました。 
 他にも人形町サロンが賞賛されるべきことがらは枚挙にいとまがありませんが、その一つに、現在、新聞や雑誌等で活躍されている石平(せき・へい)氏を積極的に紹介したことを挙げられると思います。今をときめく石氏もサロンに寄稿した当時は無名に近かったのですから。私は、編集長である公爵氏の卓越した先見性と人間性を考えると休刊という状況を非常に惜しみます。
 とにもかくにも人形町サロンは著名な人物だけではなく、若手研究者や地方議員等の発言の場を提供しながら永続していくものだと思っていたのでとても残念です。公爵氏にはぜひ人形町サロンを違う場所で復活させてもらいたいです。それと同時に、いま以上に活躍していただきたいと思っています。


人形町サロンの思い出

竹田市議会議員
井英昭

 私と人形町サロンの出会いはブログからでした。編集長のチョンガー公爵氏とたまたま同じブログサービスを使っていて、しばらくはお互いのブログを閲覧し足跡を残すような感じでした。そのうちに、どちらからともなくコメントをやりとりするようになり、プライベートの話もするようになりました。同い年ということもあってか、お互いリラックスして話し合えたと思っています。
 そうこうするうちに、「人形町サロンに投稿しないか」という話になり、私が力を入れて勉強している観光関連のことを書くことになりました。他の投稿の質の高さにたじろぎながらも、私の住む地域(大分県)のことを人形町サロンの読者に売り出す絶好の機会ととらえ、また地方議員としても都市圏の議員に負けずに勉強していることを知っていただくために執筆しました。
 私のような新幹線も通っていない、県庁所在でもないような地域に住む地方議員にとって、研修のため東京に日帰りで行くということは時間的にも金銭的にもなかなかできません。そのような中、人形町サロンを通じて日本を代表する言論人の思考の一端や、将来を嘱望される若手の研究者の論文に気軽に触れることが出来たことは、私を「知の世界」にぐっと近づけてくれたものでした。
 チョンガー公爵氏と知己を得たことで、人形町サロンという深い知の世界を知り、そこを棲家とするたくさんの知識人の考えに触れることができるようになったことは、私にとっては偶然ではなく必然だったかもしれません。
 人形町サロンの休刊は残念でなりませんが、これまでの御労苦をまずはねぎらい、読者の一人としてサロン復活を願う声も届けたいと思います。


今までありがとうございます。

会社員
穴吹茂己

 かつて「読者の声」に投稿した者です。この度、人形町サロンが休刊すると聞き、いてもたってもいられずに再度投稿しました。出版界においても『論座』『現代』の休刊があり、その反面保守系の『正論』『諸君』等は活況を呈しておるところ、まさか本サロンが休刊とは、又一つ私達の言論の場がなくなることを、寂しく思います。
 言論の自由には、「自己実現」と「自己統治」という重要な役割がありますが、私はその二つにプラスして「ガス抜き」という役割もあると思います。つまり、本サロンのような言論の場があることにより、過激な言動によってではなしに「言論で世の中を変えてやろう」と考えてくれる人がでてきてくれるという見方もできると思います。
 田母神空幕長も、本サロンに諾名で投稿しておけば・・・。それはともかく、人形町サロンには感謝の想いで一杯です。


私にとっての人形町サロン

会社員
岬タロウ

 「読者の声」に2006年6月27日付で掲載していただいた者です。
 人形町サロンは今秋2年半を迎えられましたが、開設した頃はワールドカップが開催されていたことを思うとずいぶん時間が経ったものだと実感します。気がついたら次のワールドカップがもうそこまで近づいてきてしまいました。サッカー日本代表には拙稿で期待したように前回よりも成長したところを見せてほしいと願っています。
 翻って、私も人形町サロンによって、この2年半で多少なりとも成長できたのではないかと考えています。難しい議論からリラックスして読めるものまで多彩な話題に触れるうちに、「世の中にはすごい人がいる。自分も毎日を何気なく過ごすのではなく勉強もしなければ」と思うようになり、サロンで紹介されていた本を何冊か読んだりしました。2年半前の自分と比べて関心の幅が広がったように思います。
 私のように研究論文までは書けない一般人にとっては、人形町サロンは成長のきっかけを提供してくれた場所でした。席亭の黒岩氏をはじめ様々な文章を読ませてくださった皆様、絶妙の編集手腕を発揮されたチョンガー公爵編集長に感謝申し上げます。


一日も早い復刊を

杏林大学教授
豊島典雄

 人形サロンの休刊はまことに残念です。人形町サロンは、若手研究者が発信し、切磋琢磨する広場として発足し、大いなる成果をあげてきました。若手研究者にとっては飛躍するのを支援してくれるとても貴重な広場でした。私もこの広場に発表される諸論文に目を通し、啓発されていました。 
 諸般の事情により一時休刊となるのですが、一日も早い復刊を心から祈念しています。


稀有な存在だった人形町サロン

庶民
池田平太郎

 このたび、三年近くにわたり、有意義な提言を採り上げてこられた人形町サロンが休刊するという話を耳にした。
あまりに突然のことで、一瞬、耳を疑ったが、昨今の情勢を考えればわからなくもない。今はただ、これまでの労をねぎらうと同時に、一刻も早い再開を祈るだけだが、思えば、人形町サロンがこれまで果たしてきた「松明」としての意義は決して小さいものではなかったであろう。
 私がそう思うのは、各界有数の識者による卓見に加え、私のような市井の凡人にまで声を掛けて頂いたからである。無論、そのことには感謝の意を禁じ得ないが、私が言いたいのは単に私の感謝のことだけではなく、広く、私のような、地位も肩書きも無いような者を掘り起こし、著名な方々の合間に並べて書かせてみようというその姿勢についてである。
 あいにく、私自身は学究の徒ではなく、到底、期待に応えられたようには思えないが、それにしても―場違いな観はあったにせよ―掲載していただいたということは事実であり、そう考えれば、果たしてこの後、私のような一凡愚にも光が当てられる機会があるであろうか疑問を禁じ得ない。
 すなわち、この人形町サロンは、各界の賢者による名論卓説を深く掘り下げると同時に、かつ、在野からの建言にまでアンテナを張り、広く意見を拾い上げようとしたという点で希有の存在であったろう。


人形町サロンは正しき「学びの道」

元会社役員
佐藤雉鳴

 カール・R・ポパーの『歴史主義の貧困』に「ある理論が裏づけられたといいうるのは、それを支持するような諸事実が見出せた場合であるよりはむしろ、それを反駁するような諸事実が見出し得ない場合にかぎる」という一節がありました。
 実に明快です。理論に一つでも反する事実があれば、その理論は正しくないということです。しかし「支持する諸事実」を多く集めて自説を補強する人が世に少なくありません。不都合な事実を無視する著名な論者も同様に存在します。
 そして本居宣長の『玉勝間』には「後によき考への出来たらんには、かならずしも師の説にたがふとて、なはばかりそとなむ、教へられし、(中略)師の説なりとて、かならずなづみ守るべきにもあらず」とあります。
 師・賀茂真淵と本居宣長は学びの道を尊び、師のみを尊ぶことを戒めました。現在の学界や言論界はどうでしょう。師の説に異論を唱えれば職を得ることもむずかしいと仄聞します。
 師を持たないリタイア組の私でさえ、これまでの定説に異論を述べようとしても手段はそれほどありません。会員雑誌等でも主要な「先生方」の説への異論が採りあげられることはありません。
 教育勅語や奈良朝の宣命に関する解釈はもはや角質化していて現在では話題にする人もありません。しかし人形町サロンは定説に挑戦する拙論を受け入れてくれました。定説に反する事実の発見に関し、それが学者・素人のいずれによるものかを問わない人形町サロンの姿勢はまさに「学びの道」を実践するものといって良いと思います。
 いわゆるネット論壇にこの種のサロンを見つけることは叶いません。席亭の黒岩智行氏とチョンガー公爵編集長、そして参加者の皆様にあらためて敬意を表したいと思います。「学びの道」がいつかまた復活されることを願ってやみません。 
 たのしみは世に解きがたくする書(ふみ)の心をひとりさとり得し時 (曙覧)


光栄だった執筆依頼

「アジアの真実」管理人
 lancer1

 人形町サロンが休刊になるとお聞きし、非常に残念に思っております。私と人形町サロンとの最初の出会いは確か花岡信昭氏のコラムだったと思います。初めてサイトにアクセスした際、花岡氏のコラムを読む為に立ち寄ったのですが、多数の方が様々なテーマで論文を持ち寄られているのを見て、思わず長居して読みふけったのを覚えています。
 そんな折、編集長のチョンガー公爵様から、「今月の識者」への執筆依頼が来たときには驚きました。このコーナーに執筆されている錚々たるメンバーの中に自分の論文が載ることに非常に恐縮し、また光栄に思ったのを覚えています。恥ずかしい文章を書いて人形町サロンの名前を汚してしまわないようにと、執筆にあたり選んだテーマに対して勉強を重ねたのですが、その結果普段自分のブログ上で書いているテーマにも深みが出たように思えます。
 今回の休刊残念でありますが、近いうちに復刊され、また各界の有識者の方の論文が読めるようになることを期待しております。


人形町サロンの史的意義について

評論家
渡辺望

 人形町サロンを知る著名な識者と話しをすることがあります。そうした識者の多くが人形町サロンを指して「・・・あのサイトは他のサイトと違いとてもよいもの・・・」という表現をつかいます。しかし、私はそのほめ言葉の中の「サイト」という言葉に心の中で強く反発します。かく言う私が人形町サロンをどう形容するのかというと、「インターネット雑誌」と必ず表現することにしております。
 「インターネットの時代は誰しもサイトをつくれるようになり、今までにない一億総評論家時代をつくりだした」とよくいわれます。それは半分正しく、半分間違っています。確かにたくさんのサイトがあります。一日ものすごいカウントの数をもっている評論系の人気サイトもあります。しかしこの人気サイトが皆さん「評論家」か、といえば、そんなことは決してないのです。
 インターネットの時代かどうかにかかわりなく、私は名のある言論誌というのは、二つの要素によって支えられていると思います。まず、その国の既存の言論世界での中心に近いポジションにあるかどうか、ということ。すでに功績を認められている言論人がその雑誌で語っているのかどうかということが、「正統」ということを創造します。「正統」ということは「人気者」というポピュリズムとは微妙に違うものです。反体制、反権威を旗印に掲げる言論誌だって、この「正統」に依存して存在しています。たくさんのカウント数をもっているサイトであっても、この「正統」をつくり出すことは至難の業だといわなければなりません。
 それからもう一つ大切なことは、言論そのものの質です。はっきりいって評論系人気サイトの大半ががなりたてるだけの「檄文サイト」にすぎません。インターネットアクセスは基本的に金がかからないのですから、こういう「檄文サイト」におもしろがってひたすら群がるということはありえます。しかしそんなことで生み出されるカウント数は「内容」そのものではありません。さらには「売れる内容」ですらない、のですね。
 この「正統」と「言論そのものの質」の二つを持ち合わせたとき、はじめてインターネット言論の可能性が優れたものとして見えてきます。インターネットが通常の出版物と対等なものになる条件、といっていいでしょう。
 人形町サロンの過去掲載作品を読めば、第一線で活躍されている評論家や政治家が実に多い。大手言論誌に少しも引けをとりません。「正統」が確保されているのです。またその反面、商業主義で身動きが取れなくなっている大手雑誌がこぼしてしまいがちな在野の評論にも目をむけ、それを盛んに掲載してきました。「言論そのものの質」の確保がきちんとなされているのです。それがゆえ、私は人形町サロンを「サイト」ではなく「インターネット雑誌」と表現するのです。
 これからは人形町サロンのような試みが言論誌でたいへん多くなることでしょう。大手新聞ですら、全面的なインターネット化計画があると聞きます。ゆえに人形町サロンの試みは「コロンブスの卵」といっていい存在なのです。それがゆえに、一時休刊は実に残念なことです。しかし何時の日か必ず、その歴史的評価がなされることでしょう。
 その評価の到来とともに、インターネット雑誌・人形町サロンの再刊される日が来ることを心よりお祈りしています。 

 
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