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「人間宣言」と謂う誤り ―新「現御神」考―
                                                  2008.11.11   
元会社役員 佐藤 雉鳴氏

<略歴>
昭和25年生まれ。昭和47年明治学院大学卒業。建設会社役員等を経て、平成19年3月退職。
これまでの教育勅語・神道指令・人間宣言などの解釈に疑問をもち、その正しい解釈と誤りの原因および今日への影響を研究している。
著書:『本居宣長の古道論』平成19年1月
   『繙読「教育勅語」』平成19年10月 
   『国家神道は生きている』平成20年3月


はじめに
 我が国では昭和21年1月1日のいわゆる「新日本建設に関する詔書」を未だに「人間宣言」といって憚らない。当時の新聞を見ると「天皇は現御神(あきつみかみ)に非ず」というものであって「人間宣言」とは書かれていない。しかし藤樫準二『陛下の"人間"宣言』(昭和21年)の影響なのか、今日まで「人間宣言」で通用している。
 
 この詔書で有名な一説は「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」であるが、「架空なる観念」とされたのは「天皇を以て現御神とし」ということではなく、その上で「日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延いて世界を支配すべき運命を有す」としたことであるとの見方がある。これは天皇=現御神を緩やかに許容するものである。伝統的な日本国民の天皇神格観を尊ぶゆえのものだろう。
 
 しかしこの解釈は誤りである。詔書文案作成に深く関与した当時の侍従次長、木下道雄の考えていたことが公開されてすでに40年が経っているが(『宮中見聞録』)、木下道雄が述べたのは、もともと天皇=現御神というのは奈良朝頃の宣命には無いということである。それが近世に至って解釈に乱れを生じ、現御神即ち天皇とするに至ったというものである。
 
 『宮中見聞録』は「新編」として平成10年にも出版されている。それなのになぜこのことが看過されてきたのだろう。

 ここで木下道雄の『側近日誌』をひもといてみよう。

昭和20年12月29日
 大臣は現神という言葉も知らぬ程国体については低能である。これは驚くべきことなり。・・・日本人が神の裔なることを架空と云うは未だ許すべきも、Emperorを神の裔とすることを架空とすることは断じて許し難い。そこで予はむしろ進んで天皇を現御神とする事を架空なる事に改めようと思った。陛下も此の点は御賛成である。神の裔にあらずと云う事には御反対である。
 よって、予は改めて考え直し、左の文を作った。
 凡そ民族には其の民族特有の神話伝説の存するありと雖朕を以て現神とし爾等臣民を以て神の裔とし依って以て他民族に臨み其の優越を誇り世界を支配すべき運命を有するが如く思惟するは誤れるの甚だしきものたるを覚らざるべからず
 これは民族の神話伝説を尊重し、これについて別段議論せず、只この神話伝説をかざして他民族に優越感をもって臨むのを誤りとしたのである。かく改めなければ、国内の深刻なる議論を引き起す虞れを感じたからである


 この文案では天皇=現御神ではない。そのことに昭和天皇も御賛成とある。しかし昭和12年の文部省『国体の本義』では天皇はたしかに現御神であった。では一体なぜ天皇を現御神とする考えが出てきたのだろう?そして現在では完全に天皇=現御神が否定されているのだろうか?
 
宣命に読む「アキツミカミ」
 『続日本紀』の宣命を解説したものが本居宣長の『続紀歴朝詔詞解』である。これと他の参考本を含めて「アキツミカミ」がどのように用いられているかを検討してみる。
 
 天皇の宣言には詔書と勅書とがある。大事が詔で小事が勅である。そして詔勅は漢文によるものであり、宣命は国語の詔旨である。命を受けて宣命太夫が式場で拝読したという。アキツミカミを含む宣命の代表的なものは文武天皇の「即位の宣命」である。
 
 現御神止大八嶋国所知天皇大命良麻止詔大命乎
(あきつみかみとおほやしまくにしろしめすすめらがおほみことらまとのりたまふおほみことを)
『続紀歴朝詔詞解』
 
 参考資料によってやや異同はあるにしても、アキツミカミ(現御神・明神・現神)を含んだ宣命の表記はこれが代表的なものである。そして「アキツミカミ(と)」と「天皇」の間には必ず「しろしめす」(御・所知)のあることが重要な点である。「しろしめす」は御稜威(みいつ:御威光)による統治である。そして明神天皇という表記は見当たらない。
 
 例外は以下である。
※現神と坐す倭根子天皇我が皇(あきつみかみとますやまとねこすめらみことわがおほきみ)
※現神と坐して、大八嶋国知ろしめして(あきつみかみとまして、おおやしまぐにしろしめして)
※朕、明神の祐を得て(あれあきつみかみのたすけをえて)
☆明神にます我が天皇(あきつみかみにますあがすめらみこと)
 
<筆者注>
※印は先帝について敬意を表した例である。そしてその先帝も(あきつみかみとあめのしたしろしめすすめら)だったのである。☆印だけは今上天皇(明治天皇)のことであり、維新直後の高潮した気分が伝わってくる。しかしその即位の宣命は「現神と大八洲国所知す天皇」である。
 
 本居宣長は現御神(止)=あきつみかみと、について、この言葉は現御神と坐して、と同様に「天皇は、世に現(うつ)しく坐(まし)ます御神にして、天の下をしろしめすよし也」と解説している。ついでに「神ながら云々、と申すも、神にてましますままにといふ意也」とも書き添えている。
 
 また『続紀歴朝詔詞解』にある大神安守の序には「現御神登神随所知。此御食国能大政事者皆(あきつみかみとかむながらしろしめす、このみおすくにのおほきまつりごとはみな)」とある。本居宣長の上の文章と同様、「あきつみかみと」は「しろしめす」の副詞となっているのである。このことは前述の『宮中見聞録』にも述べられている。
 
 さらに詳細は本居宣長『直毘霊(なほびのみたま)』にある。
 
 現御神と大八洲国しろしめすと申すも、其ノ御世々々の天皇の御政(みをさめ)、やがて神の御政なる意なり。万葉集の歌などに、神随云々(かむながらしかしか)とあるも、同じこころぞ。
 
 この「現御神と大八洲国しろしめすと申すも、」の読点で「現御神と」が「しろしめす」の副詞であることを明確にしているのである。「と」は「自然と治る病気」の「と」に近いといってもよいかもしれない。この「と」は上接の語と一体となって副詞を構成する接尾語と考えてよいのではないか。「自然=病気」ではない。したがって「現神御宇天皇(あきつみかみとあめのしたしろしめすすめら)」では現神=天皇ではなく、「現神御宇」天皇である。「現神天皇」御宇ではない(御宇は、あめのしたしろしめす=国を統治する、という意である)。
 
 したがって、宣命のなかには現御神=天皇と解釈する十分な根拠は存在しないと言うべきである。

鈴木重胤と池辺義象の「アキツミカミ」
 鈴木重胤(すずきしげたね:江戸後期の国学者)は『祝詞講義』において次のような文章を残している。
 
 天照坐(あまてらします)大御神の御子の継々天津日嗣(あまつひつぎ)と神随天下所知食す(かんながらあめのしたしろしめす)掛巻(かけまく)も甚も可畏(かしこ)き皇御孫命(すめみまのみこと)の明御神と天下を摂合(ふさねあわ)せ統御(すべま)す御事は

 摂合すは、とりまとめる、の意である。この文章でも「明御神と天下を摂合せ統御す御事」とあるから「明御神と」は「摂合せ統御す」の副詞である。鈴木重胤の解釈は本居宣長と同じである。
 
 また池辺義象(いけべよしたか:明治期から大正期にかけ活躍した国文学者)は『皇室』で宣命について述べている。
 
 「明神御宇」とはあきつみかみと、あめのしたしろしめすと訓ず、あきは現にて天皇は現在の神として天下を統治したまふといふ義、これは蓋し我が上古以来、詔旨には必ず唱へ来った詞とおもふ、この古来よりの詞をここに漢文に訳して「明神御宇」とせられたことであらう。
 
 これも「明神御宇」から説き起こしているので、「明神と」を「しろしめす」の副詞としていることは明白である。「明神天皇」ではない。鈴木重胤同様、池辺義象も本居宣長『続紀歴朝詔詞解』とまったく同じ理解である。
 
 『祝詞講義』は嘉永元年(1848年)に書かれたものであるが、明治43年(1910年)に出版されたものが現存する。『皇室』は大正2年の発行である。しかしこの時代まで「アキツミカミ」が一般的に正しく捉えられていたとは限らない。鈴木重胤や池辺義象の文章を読んで、本居宣長『続紀歴朝詔詞解』とまったく同じ理解であることを思う人はむしろ稀だろう。
 
 久米幹文に明治26年(1893年)発行、『続日本紀宣命略解』がある。続日本紀巻一の第一詔は「文武天皇即位の宣命」である。現御神(止)大八嶋国所知天皇である。この注に「現御神は目の前におはします神と云ふ義にて天皇を申すなり」とある。現御神=天皇である。
 
 「現御神は目の前におはします神と云ふ義」までは良いとして、「と」が付いた場合の解説がない。また「神随は神にておはしますままにといふ義なり」として、本居宣長の口写しではあっても「しろしめす」の副詞であることの意識は読み取れない。
 
 明治期における祝詞の解説書は現御神=天皇が多くみられる。これは信仰上、宗教上のことだから崇め奉ることも別段不思議なことではない。
 
 久保季茲編『祝詞略解補』(明治16年)、桂上枝『祝詞約解』(明治18年)、春山頼母『祝詞式講義』(明治25年)等では現御神=天皇である。これらはなぜか本居宣長らの宣命解釈を転倒させたものとなっている。

昭和戦前の宣命解釈
 本居宣長・鈴木重胤・池辺義象らの宣命解釈は昭和に入ってどんな風になったのだろう。
 
1)折口信夫「国文学の発生(第4稿)」(昭和2年)
 「『現御神止大八洲所知食須大倭根子天皇云々』といふ讃詞は、その神聖な資格を示す語として」とあるように、これは現御神=天皇である。この宣命の「現御神と」は讃詞ではない。歴史的事実であり、惟神の道に対する天皇のいわば政治姿勢である。現御神=天皇であるという宣命はひとつも見当たらないのだから、この解釈には妥当性がない。
 
2)田中義能『古事記祝詞宣命講義』(昭和3年)
 文武天皇の即位の宣命についての、現神云々の注である。「天皇は世に現しく坐ます御神にて天下を統べ給ふにて申す」は曖昧である。やはりこの最初の「にて」は今でいう格助詞の「で」と同じだと考えられ、現神は天皇を説明するものとなっている。いわゆる連体修飾語ととって良いのではないか。つまり現神=天皇である。本文では「現人にて神と坐しまして大八州を統べ治めらるる天皇の勅命たる大御言を」となっている。どう考えても「現御神止」が「統べる」の副詞である意識はみられない。その意味も語られていない。
 
3)御巫清勇『宣命詳釈』(昭和10年)
 「現御神止」の語釈に、「あきつは明之義、現在の意。人の体として世に現はれ居給ふ神。現在に坐します神。現身の神。天皇の尊称で、あきつ神・現人神・現御神も同じ。『と』は『として』『と坐して』の意」とある。天皇の尊称とあるから、これは考える余地なく現御神=天皇である。
 
4)金子武雄『続日本紀宣命講』(昭和16年)
 語釈「現つ御神と」に「『あき』は、『あきらか・あきらむ』などの語源であり、明・現・顕などの意を有ち、『つ』は天都神・天津日嗣、遠都神祖(万、4094)などのそれであり、上の語を受けて下の語に連なり、一つの体言をつくる働きを有つ。現つ御神とは、明かに現はれてをられる御神の意であり、天皇がそれであらせられるのである。『あらひとがみ』とも申し上げる。次に『と』は『として』の意」とある。これも現つ御神=天皇である。
 
 金子武雄の解釈と御巫清勇のそれはほぼ同じである。どちらも「しろしめす」に対する意識はまったくない。これらの解釈は現在どうなっているのだろう。

戦後の宣命解釈
 池辺義象の後、戦前まではたしかに『続日本紀』の宣命解釈では現御神=天皇であった。だが「現御神と」の副詞としての用法に関する説明はない。誤った解釈である。では「人間宣言」後、今日ではこれが訂正されているのだろうか。
 
1)『日本の歴史』(1963年)
 「大化の改新とその後の法制の整備によって、ここにはじめて、日本社会にも・・・国家形態がつくられた。この国家において、天皇は、国土創造の神の子孫であり、アキツミカミ(明御神・現御神)すなわち『人間として現われている神』といわれる神的な権威であり、同時に全国土も人民も天皇の所有とする、最高の専制権力者であった」とある。井上清の文章であるが、天皇=明御神・現御神である。
 
2)『日本の歴史2』(1973年)
 「宮廷の貴族たちが天皇を神とたたえるのにたいし、天皇みずからも自分を神と称した。たとえば天武12年正月にくだした詔勅のはじめに、天皇はみずから、『明神と(して)大八洲(を)御す日本根子天皇』と称している」とある。これは直木孝次郎が「古代国家の成立」に記した箇所である。明神=天皇である。
 
3)『日本思想体系月報56』(1976年)
 「日本の天皇は、天神の化身としての「現神」(宣命には『現神』とあるが、公式令の詔書式には『明神』とある)というたてまえとなっている、と言うことができる」と上山春平が「律令と天皇制」で述べている。現神=天皇である。
 
4)『新日本古典文学大系12・13』(1990年)
 注には「アキツミカミは、現世に姿をあらわしている神の意。トは、としての意」とある。結局「現御神と」の説明はない。現御神=天皇である。さらに稲垣耕二の「続日本紀における宣命」というのがあって、「人でありながら同時に神である存在として、天皇が讃えられたのである」と説明している。
 繰り返すが宣命の「現御神と」は讃詞ではない。歴史的事実であり、惟神の道に対する天皇のいわば「政治姿勢」である。この事実から「現御神と」が正しく捉えられていないことが判明する。
 
5)『新編日本古典文学全集4』(1998年)
 西宮一民の注である。「明神御宇日本天皇の詔旨とのたまはく」は「この世の神として世界を統治する日本天皇が仰せられるには、の意」とある。まさしく直訳であって「明神と」が「統治する」と「天皇」のどちらを修飾しているか分からない。普通に読めばこれは明神=天皇である。少なくても「・・統治する、(その)天皇が・・」と解説しなければ明神=天皇としか解読できない。
 
6)『日本の歴史3 大王から天皇へ』(2001年)
 熊谷公男は「こうして天武の隔絶した神的権威はみごとなまでに制度化され、現神『天皇』の支配する『日本』が誕生するのである」と述べている。現神「天皇」だから、あきらかに現神=天皇である。
 
 いずれを見ても、大東亜戦争の前後において、宣命についてのアキツミカミ解釈に疑問が残る。天皇は何代であれ、その精神においては一代であられるとする主張がある。時代時代で神になったり撤回したりはないだろう。この天皇=現御神論の原因として、「しらす」の解釈に致命的な誤りがあるのではないか。

 
「しらす」と「うしはく」
 大正8年4月、明治聖徳記念学会は「本会に於ける『しらす』『うしはく』二語の研究開始に就きて」という題目で例会を開催した。「故井上毅氏が、彼の梧陰在稿中に於いて述べられた如き違いが此二語に認められないのでは無かろうかと云う疑問を有して」いた宗教学者加藤玄智の提唱によるものである。シベリア出兵の翌年のことである。
 
 古典にうしはくといふことと、知らすといふことと二の言葉を両々向き合せて用ゐ、又其のうしはくといひ知らすといふ作用言の主格に玉と石との差めあるを見れは、猶争うことのあるへきやは。若し其の差別なかりせは、此の一條の文章をは何と解釈し得へき。
 
 これが井上毅が梧陰存稿に述べた二語の「違い」の証拠である。さすがに井上は本居宣長の『古事記伝』に精通していると言えよう。
 
 古典に、とは古事記にある「汝がうしはける葦原の中つ国は、吾が御子のしろしめさむ国なり」のことである。本居宣長は次のように述べている。「宇志波祁流(うしはける)は、主として其(ノ)処を我物と領居(しりを)るを云、但天皇の天(ノ)下所知食(しろしめす)ことなどを、宇志波伎坐(うしはきます)と申せる例は、さらに無ければ、似たることながら、所知食などと云とは、差別(たがひ)あることと聞えたり」と。
 
 哲学者井上哲次郎がこの件について講演し、そのタイトルは「我国体の特色を論じ『しらす』『うしはく』に及ぶ」というものであった。我が国体を論じて、1)自然的国体2)一元的国体3)人道的国体4)統一的国体5)精神的国体であり、その上で「知らせ」は「仁政を施せといふことに解釈して差支ない」と述べている。また、「うしはく」は「占領と訳して一向差支ないのであります」とも述べている。そして神勅には皇統一系、統治者は皇孫、加えてこの仁政があり、それが「国体神道」であるとしている。
 
 これに対し神道学者河野省三は、古典の用例からシラスは馭、御、奄有の意義を拒否しておらず井上毅の比較論は正鵠を射ていない説であるとした。白鳥庫吉は言語学上からして、シル(知る)・シマ(島)・シム(占)・スム(住む)・シク(敷く)は同じであるとし、シラスの語義は支配の義であるとし、「シラス」と「ウシハク」は同一義とする論を展開した。三矢重松はウシハクは地処、シラスは事に関するものであるとの論であった。これらはみな井上毅や井上哲次郎に反駁するものである。
 
 この会で田中治五平が「『しらす』の語義研究と『よさす』の辞義」という興味ある話をしている。曰く「而して『よさし』の儘によさされた事柄を実行して行くことをば『しらす』といふのだと斯う思ふのであります。だから此『よさし』といふことなしにやって行く時には其処に初めて『うしはく』といふことが起って来る」と。これはなかなか面白い見解である。
 
 結論を言えば国体神道は別として、井上哲次郎が最もよく井上毅を理解し擁護した。歴史事実から考えてこの二語に違いがなければ我が国の国体を理解できないということである。加藤らの諸説について井上哲次郎はさらに批判を強めている。
 
 天皇に「うしはく」が一つもないことを加藤らはまったく説明できていない。反証法にたえられないのである。また、いわゆる神勅なるもので我が国の在り様が詳細に決定されているというものではない。我が国の歴史を辿ると、日本という国がまさに今日まで古伝承にあるとおりに顕現されていることに感動するのである。そして「神代の正しき伝説(つたへごと)」を思い、「かかるめでたき御国に生れ」たことに感謝するのである。そこで「しらす」のもつ意味がより明確になる。語義論だけで矮小な理解にとどめてはならないのである。筆者なりに脚色して要点を述べると上のような批判であった。
 
二語の違いについて
 「しらす」という深遠なる政治哲学について、その神髄に到達した解説はこれまでにない。しかし先人たちが遠く深い外堀を埋めてくれている。これによってイメージを膨らませる以外にない。そこで本居宣長や井上毅らの言説から引用し、誤解を恐れずに、筆者なりに比較してみる。
   

「しらす」からの連想
「うしはく」からの連想
・天照大御神の授け給える皇統であるから
「君の私といふ事はなき也」→君権制限
・領有するという意であるから
「君の私といふ事もあるならん」→専制
・事依し(委任)から天皇大権はあっても
 天皇主権はない→天皇不親政
・天皇大権を天皇主権と同義とし
 君主に絶対性を付与する→天皇親政
・天皇に主権がないから何人にも主権はない ・君主主権を倒して国民主権になり得る
・立憲君主制的 ・絶対君主制的
・万世一系であり、君民の義と秩序がある
→歴史的連続性を重視
・易姓革命の是認
→歴史的連続性は尊重されない
・旧慣(祖先の叡智)尊重主義 ・啓蒙思想、合理主義的傾向
・歴史法学的立場 ・人定法主義的立場
・属性尊重主義(家族・共同体・伝統・文化) ・還元主義(属性否定・唯物的)
・民は自由 ・民は服従

 
 まだまだ比較は可能であるが、とうてい委曲を尽くすには程遠い。言挙げはたしかに詮無きことではある。しかし歴史事実を顧みないで、この二語を同義だと加藤玄智らは主張したのである。このことは彼らの国典理解の限界を示すものではないか。
 
 折口信夫は文武天皇の「即位の宣命」について、「其意味は、大八洲は皆私のものだ、といふ意味である。そして、御宇日本天皇といふのは、此言葉を受ける人は、皆日本の天子様の人民になってしまふ、といふ信仰上の言葉である」(「大嘗祭の本義」)と本居宣長や井上毅らの言説と正反対の論をなしている。
 
 また『日本の歴史 大王から天皇へ』の熊谷公男は「『シラス』とはシル(知る)の尊敬語で、あるものを排他的に領有するというのが原義で、対象を一方的、無条件に支配する、という隔絶した、絶対的な支配権を意味した」と記している。これもまったく歴史事実に反した言説である。
 
不可解な宗教関係学者の言説
 神道学者小野祖教はGHQ民間情報教育局長のダイクからその明御神観を執拗に問われて次のように答えている。「神道には、絶対神なんかはない。明御神と云っても、無限に多数なる神の中の一人である」、「私は『現御神』といふ信仰は、上代の生き神信仰であると理解してゐる」(『象徴天皇』)。
 
 たしかに現御神そのものは「世に現しく坐ます御神」である。しかしここでは天皇=現御神論が、国典にある宣命を誤って解釈したものであり、過激な連中がそれを利用したものであることを説明することが学者の務めだったのではないか。畢竟その理解がないから「神道指令」の誤解を招くことになったのではないか。
 
 宗教行政・政教問題に詳しい大原康男も英文「人間宣言」の致命的な誤訳として、「天皇を以て現御神とし」を「天皇を以て絶対神とし」とでも訳すべきだったと述べている(『天皇』)。これは小野祖教と同様の論である。日本人の伝統的な、天皇を「現身を持った神」とみる思想ということから解説している。しかし民が天皇を尊ぶことと、天皇が公式に宣言するものとは別である。『続日本紀』も挙げているが、「現御神(止)」の説明がない。肝腎要の解説を欠いていることからすれば、「現御神(止)」が「しろしめす」の副詞であることを理解していないと勘繰られてもやむを得ないだろう。
 
 我が国の近代政教関係史を専門とする神道学者新田均は、「この木下の修正が認められて、『人間宣言』の文言は『天皇を以て現御神とし』となったわけだが、当時、『神の子孫』と『現人神』の間に意味の差がなかったとすれば、この修正の意図は理解できない」(『「現人神」と「国家神道」という幻想』)と述べている。これは本人自身が「神の子孫」と「現人神」の違いがわからないことの告白ではないかと思われる。また宣命解釈と教育勅語解釈の誤りに言及していない「現人神と国家神道」論となっているので、それぞれの正体も特定できずじまいである。

結び
 「現御神と」とは「天皇の、私心なく、旧慣を尊重し、神々の御心(祖先の叡智)に随って」という意味をもつ副詞であり、「しろしめす」を修飾するといってほぼ間違いないだろう。
 
 宣命の中に天皇自らが、現御神=天皇と定義したものは一つも見つけられない。「うしはく」については、もちろん「二語の違いについて」で述べたような連想は度が過ぎる。領有する、だけの意味で十分だろう。ただ「しらす」の理解のために対義語的に記してみたのである。
 
 井上哲次郎は前述した大正8年の明治聖徳記念学会例会の約30年前、教育勅語の解説書『勅語衍義』において痛恨の曲解をした哲学者である。洋行帰りの新進気鋭であったが、教育勅語の「徳を樹つること深厚なり」の「徳」が「君治の徳=しらす」であることを理解できなかったのである。「徳」を忠孝等の「徳目」だと考えたのである。30年経って理解した。そして昭和17年、84歳にして「斯の道」は「随神の大道」であると論じたのである。
 
 だが残念なことに「之を中外に施して悖らず」の「中外」を「宮廷の内外」と解釈できず、「国の内外」として、あくまで普遍道徳論に固執した。この皇道宣布が世界征服思想と受け取られ、「神道指令」において過激なる国家主義とされたのである。GHQのいう国家神道の正体である。井上哲次郎が抜群の物識りというだけで終わったという評価は妥当なところだろう。
 
 景行天皇紀や雄略天皇紀の「現人神」は「神」の意味は同じでも宣命の「現御神と」とは別物である。加えて会話の相手が国津神・嶋津神であり、一言主神である。みな神である。これを云々しては学問的ではない。
 
 昭和前期は大日本帝国憲法と教育勅語に違背した時代であった。天皇御親政を唱えた「国体の本義」が象徴的である。また最後となった帝国議会では鈴木貫太郎首相でさえ「中外に施して悖らざる国是」と述べたのである。しかし我が国では帝国憲法の基礎である国典、なかでも宣命の解釈と教育勅語「中外」解釈の訂正は未だに行われていない。明治大帝の御遺徳を穢し、昭和天皇の「神格とかそういうことは二の問題」の真意を理解しようともしない。国語国文学者は政治哲学に興味が薄く、同様に政治学者は国典に関心が薄い。歴史学者は事実を等閑視して自らのイデオロギーを語る傾向が強い。総合的な国典研究が急務なのではないか。碩学、出でよ。
 
 あの詔書を「人間宣言」と謂うは誤りである。あなかしこ。                     

(文中敬称略)  


 
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