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京都教育大学名誉教授、法学博士

土居 靖美 氏

<略歴>
大正14年生まれ。
京都大学卒、法学博士。
京都教育大学名誉教授。
現在は日本法政学会名誉理事をつとめる傍ら、若手育成に尽力している。
 学力向上への試案  2008.01.09

 
 現在、学力の向上が求められている。教育再生会議における第一次報告の中にも「ゆとり教育」を見直し、学力を向上することが先ずもって教育内容刷新への提言として掲揚されている。現に、大学入学者の学力低下の顕著さを嘆く声が多い。また、昨今の2006年国際学習到達度調査(PISA)によれば、日本は、アジアの二、三の国に先を越された恰好であると伝えられている。韓国、台湾等の近隣諸国は、日本の児童の学力水準を追い越していると。

 それでは、どうすれば学力を児童や生徒につけさせることができるか、現在の教育方法によっては、児童や生徒に、世にいわれる標準の学力水準まで到達し得ない状況が現在感受されるがゆえに、学力低下が提唱されるのではなかろうか。新聞紙上に見る「若年人口の減少などで大学入学者の学力は落ちてゆく。高い授業力を身につけないと大学教員になってから対応できない」という意見もある(東大・苅谷教授談・読売新聞平成19年2月3日)。また、改正教育基本法の成立によって、今後の課題として改正法の理念を具体化するに当たり、「いじめ」や「学力不足」等の克服を課題としているが、問題は、後者の学力不足を是正するための対策がどのようになされるべきか。学力不足を解消するために、近年、試案のいくらかが目にとまるところ、それだけに国民の関心事となっていることは事実である。

 その原因は、一体いずこにあるかを先ず検証する必要があるのではないか。一つに、大学入試がそれらの原因であるとする見解がある。特定科目(例えば地理)が私大入試から排除され、これが異文化理解の危機を招いているという。地理の入試科目が全国500程ある私大のうち、230大学で採用していない。その理由として、受験科目に使えない、魅力を感じない等の回答の由。日本地理学会では、国際社会に生きる日本人にとり地理は不可欠の科目であるとして高校における必修科目にするよう切望しているとのこと(読売新聞平成18年12月16日)。

 ところで、これまでの大学入試は知識の暗記、直観力の鋭敏さが求められてきた。即ち、○×式が中心で頭脳的に構想力を養うという点では不都合なテストであったという感は否めない。そもそも、そうしたテスト形式は、戦後間もない頃の国家公務員上級試験において採用された方式であったことを記憶している。即ち、アメリカにおけるその当時の公務職員採用テスト等を参考にしたという見方もある。

 その後、○×式は小、中学校、高校、大学すべてにおいて活用されるようになった。現在は、大学入試はもとより、大学における学年末テストにおいても専ら利用されている。その結果、学生に対しては断片的な知識のみを求め、論理的思考力を求めるのとはほど遠い学力しか確認し得ないことになる。

 一方、大学によっては応用力のある学生を入学させようと工夫しているようである。数学にしても、これまでのやり方として解法丸暗記式勉強法では通用しないようになっている。例えば、東京工業大学の入試で丸暗記型受験生は面食らったらしい(読売新聞平成18年11月29日)。

 学問は、常に論理的、実証的に真理を探求するため多くの先行研究を踏まえて研索し、目標に向かって研究成果を生み出そうと努力を重ねるべきものである。初等中等教育の段階では、そのための基礎知識を論理的な思考を経て習得させるべきものと考える。しかし、現状では、文章作成能力は低下し、思索等による結果の発表は至難の業となる。学力低下の素因を考えるとき、こうした理由を無視することはできないのではなかろうか。

 論理的思考力の低下は、あらゆる判断において短絡的に結論を急ごうとする傾向を強める。こうしたことが学力低下の結果をもたらしているといっても過言ではないであろう。

 古き時代は、「読み・書き・そろばん」を基本として教育は開始された。今日は「読み」はなくなり、書くこともなく、計算は機材によって右から左である。文明の器機は、人間の能力の進歩と同時に退歩を招いている。大学生の期末試験においても論旨の一貫した焦点をつく解答は、ごく稀である。有名大学は別として殆どがお情け点を差し上げているというのが現実ではなかろうか。結果は、大学卒業認定試験が必要であるとの発言をみる教育再生会議においても、学部の教育の質を確保するための検討がなされているとのことである(読売新聞平成19年7月21日)。

 その中での提案に成績評価の厳格化、文章作成力等の基礎教育の充実が掲げられている。「学力が身につかなくても安易に単位が認定される現実がある」という教育再生会議における意見は、まさにその通りである。学校教育の最終段階である大学において、これが実際の状況といえよう。こうしたことによる学力水準の低下のまま、若い学徒を世に送り出した場合、社会全体の知的水準の低下に繋がる。その結果、物事についての価値判断の水準低下を招くであろう。知的レベルの低下は、力によって他を抑制するという傾向に走りやすい。そこには、客観的妥当性を有する論理ではなく直観的偏見による抑圧的態度の形で現れる。ひいては、社会を不安定な状況へと導くであろう。

 そこで、先ず願いたいことは、初等教育から国語の朗読、書き取り、作文の訓練等々の学力の基礎を充実せしめること。更には、勉学の目標としてしばしば用いられている有名大学合格を念頭とする特殊英才養成教育重点化を避け、すべてが能力の伸長を目指して創作中心主義、科目解析主義を重点に、従来の択一式、短答式を改めることを提案したいと考える。


 
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